ピックアップ記事

ユーチューバーの渋谷真子さんや、車椅子インフルエンサーの中嶋涼子さんが昨年、ツイッターで、トイレのある階に行きたいのにエレベーターに乗れず困った様子を投稿し、議論になった。ベビーカーで、エレベーターに乗れず困った経験があるという漫画家の田房永子さんは「『優先エレベーターを譲る』という行為はかなり高度な技術が要る。必要な人のためにエレベータースペースを譲り合えるようになるためには、まずやるべきことがある」という――。

■「優先エレベーター」を巡るネット上の争い

駅やデパートにある、優先エレベーター

昔はなかったのに、いつの間にやら設置され今やどこでも見かけます。その必要性、重要性を誰もが均一に知る機会を取り逃したまま……。それゆえ、ネット上で要らぬ争いに発展することもあります。

国土交通省のサイトにある優先エレベーター啓発ポスターによると「エレベーター以外の移動が難しい方がいます。優先利用にご理解ください」とあります。

車椅子ユーザー、高齢者、妊婦、けがをしている人、障害のある人、乳幼児を連れた人、内部障害のある人、ベビーカーのピクトグラムヘルプマーク、マタニティマークが描かれ、イラストにはスーツケースを持った人たちの姿もあります。

つまり階段とエスカレーターを物理的に使用することができない人、または、危険なので使用すべきではない人、使用しないほうがいい人、が優先されるエレベーターということです。

かしこれを巡ってネット上ではしばしば争いが起きます。

車椅子ユーザーベビーカー利用者が乗ろうとしても「満員で乗ることができず、誰も譲ってくれないため、何十分も待った」という話を当事者がSNSに書き込む。本来の利用の仕方を知ってほしいという意図で声を上げているのに、なぜかその当人が叩かれ炎上する。それらはもはやお決まりパターンのようになってしまっています。

私も3年前までベビーカー利用者で、優先エレベーターを使おうとしても乗れなかったことが何回もありました。

その経験から「優先エレベーターを譲る」という行為はかなり高度な技術を要することである、と感じていました。しかし譲り方の具体的な指示や講習は存在せず、ただエレベーターに「お譲りください」と書かれたシールが貼ってあるだけ。これでは多くの人が「優先エレベーターを譲る行為」ができないのは当たり前である、とここでは言い切りたいと思います。

■エレベーターを譲ることの難しさ

優先エレベーターを譲るのは、なぜ難しいのか。

例えば「優先席」は、1人の高齢者が乗車してきたら、1人の乗客が1人分の席を譲る、という動作で済みます。

だけど優先エレベーターで1人の車椅子または1人のベビーカー利用者に譲るためには「スペースを空ける」という行動が必要になります。少なくても2人、場合によっては3人か4人ほどが降りるか、乗ることを控える、という動作が必要になるわけです。

まず、この2~4人全員が「車椅子またはベビーカーユーザーエスカレーターや階段が物理的に使えないから、譲るべきである。そしてそれを私は実行する」という意識がないとその行動になりません。

さらに難しいのは、この意識がある人が3人いたとしても、それで良いわけではないこと。その3人が空けたスペースに、全く別の人がやって来て駆け足でスッと乗ってしまうことがあります。その駆け足で乗ったのが1人であっても、車椅子またはベビーカーが乗ることのできる広さが欠けてしまうので、車椅子ベビーカーは乗れなくなってしまうのです。

2人が降りてスペースを空けてくれて、車椅子またはベビーカーユーザーが乗り込もうとしている間に、悪気なく別の1人が乗ってしまい、「あ……」と思ってるうちにドアが閉まって上に行ってしまう。そういう光景は実際にしょっちゅうありました。

この場合の「悪気のない別の1人」にとっては、「エレベーターに乗っただけ」のこと。車椅子ベビーカーユーザーエレベーターを待つ時、人の出入りの妨げにならないよう、ドアのギリギリ近くまで寄らないことが多い。スペースを譲ってもらうには複数の人がドアから出なければいけないわけで、その時に入り口をふさがないよう、少し離れたところにいる。その様子を「乗るつもりがない」と判断されてしまうことが多々あるように感じます。

■電車やバスの「優先席」との違い

電車やバスの優先席は、私たち40代世代も子どもの頃からそれとなく「席を譲りましょう」と教えられ、譲る大人たちのやり方を見たり、議論したり模索する機会がありました。優先席はそういった土台がある上に、次の停車までの数分の猶予があります。考える時間や動作までの決意の時間が少しとれます。

しかし優先エレベーターは、利用者が操作する「ドアの開閉」に出発のタイミングのすべてがかかっています。

だから満員のエレベーターに途中階から優先者が乗ろうとしていることが分かっても「えっとこれは譲るべきなのか?」と思っている間にドアが閉まってしまうこともある。

優先エレベーターを譲るには、優先席よりもさらに強めの瞬発力と機動力が必要なのです。さらにそこでその力が自分1人にあっても、他の人が察してスペースを空けることに協力してくれなければ、車椅子ベビーカーを乗せることなくそのエレベーターのドアは閉まります。

つまり、優先エレベーターで優先者を優先する、という行動は以下のことが要求されると言えます。

・優先エレベーターの譲り方の知識と「譲ろう」という意識を持っていること
・見知らぬ人たち同士、複数による臨機応変の連携プレー
・俊敏な判断と実行力

これはかなり高度で難しいことです。

だけど国土交通省ポスターには「お先にどうぞの一言を」とか「エレベーター以外の移動が難しい方がいます」とか「優先利用にご理解ください」という文言だけが載っています。具体的にどうしたらいいか、は書いてありません。

街にある優先エレベーターも同様で、お客さんたちの「ご協力」と「ご理解」にすべてを委ねている状態。

この呼びかけのみで、あの難易度激高な連携プレー技をみんなにやってもらうというのは、とんでもなく無理があります。

■「乗ります」アピールも難しい

ネットを見ていると、「車椅子ユーザーベビーカーユーザーが『乗ります』と声をかければいい」とか、「グイグイ乗りますアピールをすればいい」いう意見もよく見ます。

しかし実際それは、中に乗っている人たちへの「あなたが代わりに降りてください」「次のエレベーターを待ってください」という意味になります。

電車やバスなら椅子を譲って座れなくなったとしても「目的地まで移動すること」まで譲ることにはなりません。しかしエレベーターで譲るというのは「目的地まで移動すること」自体を譲ってもらう、ということになります。それも言いづらさに大きく関わっています。

ほとんどの人にとって、「この方に譲るために、私だけではなくあなたも降りましょうよ。次のエレベーターを待ちましょうよ」と全く知らない人に声をかけるのは難しい。優先者にとってもそれは全く同じで、これほど言いづらいことはない。言いづらいからこそ、優先エレベーターという存在があるわけだし。

動作自体が複雑で、状況的にも難易度が高い、さらにそれを誰も習ったことがない。そんな要素が重なって結果的に、誰も悪意がないのに「優先されるべき人が優先されない」という悲しすぎる作業をみんなで成し遂げちゃっている、それが現状ではないかと思います。

■指示されると動けるが…

今年3月、大阪の阪急うめだ本店では優先エレベーターに優先される人が乗れるよう、店員が「優先の方が来ましたので他の方は降りてください」と声をかけて降車を促している、という記事がニュースになっていました。

店員や駅員ポジションの人から指示されるとみんなサッと動ける。それでも「なんでそんなことを指図されなきゃいけないんだ」となってしまう人もいるようです。

譲り方はもちろん、必要性すら教わっていないので、優先エレベーターを使用しないとならない経験のない人の中には「そもそもどうして優先しなきゃいけないんだ」という感情が生まれるのも致し方ないのかもしれない。

■必要なのは「知らせること」「知ること」

街にいる人はだいたいみんな、いい人です。「自分は基本的に善良な人間である」と自認している人がほとんど。そこに「みなさまの善意」に頼る形のアナウンスがされている優先エレベーター。しかし詳しい使い方は実は知らない。知らされていないので無自覚です。

自分は何も悪いことをしていないつもりで街から家に帰ってきて、ネットを見たら「譲ってもらえなくて困った」という文言が目に入ったら、罪悪感が湧いたり「あなたは譲ってくれない」と自分が責められているように感じてしまうってことがあるんじゃないだろうか、と私の勝手な想像なのですが、思います。そこで湧いた困惑や憤りが、発言者に向いてしまうこともあるのではないかな、と。

優先エレベーターを必要とする人への理解や、優先エレベーターの重要さ、そして譲り方のレクチャーを学校や職場やどこかでしっかり教わる機会が30分でもあれば、みんな納得してスムーズに気持ちよく優先エレベーターを利用することができるのではないか、と思います。

そう思うのは私自身もベビーカーユーザーになるまで、優先エレベーターの重要性に全く無頓着だったから。

「誰もちゃんと教えてもらってないんだから仕方ない」。そういったん開き直って、「無知、無頓着なことを責められている」と捉える方向ではなく、「知らせることと知ること」に注目すれば、みんなの優しさパワーが発揮されるんじゃないか、そんな風に思います。

----------

田房 永子(たぶさ・えいこ)
漫画家
1978年東京都生まれ。2001年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞(青林工藝舎)。母からの過干渉に悩み、その確執と葛藤を描いたコミックエッセイ『母がしんどい』(KADOKAWA中経出版)を2012年に刊行、ベストセラーとなる。ほかの主な著書に『キレる私をやめたい』(竹書房)、『お母さんみたいな母親にはなりたくないのに』(河出書房新社)、『しんどい母から逃げる!!』(小学館)などがある。

----------

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/freemixer

(出典 news.nicovideo.jp)

車椅子(くるまいす、英: wheelchair)とは、身体の機能障害などにより歩行困難となった者の移動に使われる福祉用具。一般的なものは、椅子の両側に自転車に似た車輪が1対、足元にキャスター(自在輪)が1対の、計4輪を備える。車椅子は健常者も使用できる。 筋力などの理由により一般的なものの利用が困難…
57キロバイト (8,177 語) - 2023年4月15日 (土) 06:47
「車椅子利用者が困っているのはわかりますが、他の利用者も同様に時間に迫られていることがあるかもしれないです。優先エレベーターの利用は臨機応変に配慮するべきですが、今回もいろいろ物議を醸しているようですが、現場にいなかった人も含め、心無い非難につながったのは残念でしかなりませんね。」
実際遭遇したら、みなさま思いやりの心を持って人として接しましょう。

<このニュースへのネットの反応>

被害者ぶりながら晒し上げてたからだろ

全くと言っていいほど嘆きが嘆きに見えないんだよなあ。トイレに行きたい気持ちがありながら、周りに人がいなくなるか、乗りますかと声をかけられるまでひたすら待つつもりだったのか?障碍者に限った事じゃないが、己の意思を示さずに周りが察しろってのは高度どころか無理な注文だぞ。

そうなったらもう障害者ベビーカー以外は利用できないようにしたら?面倒だわ。元からエスカレーター使うしどうでもいい

お客様が神様ではない様に障害者は神様ではない、人間全般が現人神なんやで。

のび太くんにはこれをかしてあげようーー  ((=゚Д゚=)ノ  尿瓶 !!

マスゴミが取り上げるのが「障害者の気持ち位察して動けよ」って奴ばっかりだからじゃねーの?

優先だらけにされても、反発生むわな

次で乗ればいい話じゃないの?正直「わざわざ主張するほどのことか?」と思ってしまう

遠くから撮影してて抜かされた!じゃ共感はされねーだろ。エレベーター着た時点で乗れなさそうなら何度も待ってるので協力してくれませんかとやんわり声かけろよ。なにも努力せず被害者面して晒すようなことするから嫌われるんだぞ。

申し訳ない気持ちがあるけど周りに声を掛けてお願いすることは、健常者も必要でやっているんだから車椅子だろうがベビーカーだろうがそれをしないといけないのは差別でもなんでもないよね。常に察しろはむりです

最初の数行はソースロンダリングってやつ?片方は知らないけど片方はちょっと離れたところから動画撮ってた人のことだよね?

SNS撮影は混んでないところでやって頂けると…

申し訳ないが想像がつかない。エレベーターを利用する人の多くは扉の前で待つ、扉の前で待っていたのに割り込んで入られ車椅子でエレベーターに乗れない人数が乗ったとか考えられない状況。エレベータ前に行ったら優先なのに誰かが利用してすぐ乗れる状況でないから許せないとかでしょうか?優先であって専用ではないですからそういった場合もあるとしか

無駄に被害者ぶるから叩かれる定期

いやー途中の階で車椅子乗るからお前降りろって言われてもなかなか降りれへんわ。そもそもキャパに対して貧弱な移動手段しか用意してない建物が悪いのでは

余りにおねだりが過ぎて何かさもしいですよ?

革マル派。こいつらがやってるのは、「多数派が少数派に合わせろ」であり、民主主義で敗北した少数派、つまり野党支持者なんだわ。だからマイノリティを乱用してる。こいつらが言ってるのは「改札機が右利き用なのは差別だ!左利きに合わせて作り直せ!」なんだわ。こいつらの目的は「民主主義の破壊」「多数派じゃなく少数派を優先しろ」だ

何故って、発信している奴が片っ端からアタマのおかしいやつらばっかりだからだよ。まともな人がそれを言ったら、同情もするがね

すまないねぇ、流石に頭に障害がある生き物に配慮はしきれねぇんだ。人間も万能って訳じゃ無いしさ?

ピックアップ記事
おすすめの記事